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Dr.梶浦

第6回 ALSを発症してからの大学病院での勤務時代の話

院長の上田です。

今回は後輩の梶浦先生にお願いして書いてもらった記事です。
第1回の記事を読んでいただければ分かりますが、彼は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気に罹患しています。

そんな彼に「皮膚科の魅力」「皮膚科医を続けたからこそ得られた考え」などを記事に書いてもらえたら有益な情報になるのではないかと考えて今回の企画をお願いしました。

第6回
ALSを発症してからの、大学病院での勤務時代の話

アメリカに留学している時にALSを疑われ、すぐに日本に帰国して精査をしました。色々な先生から色々な診断名を言われ、確定診断されるまで9ヶ月かかりました。
詳しくはこちらをご覧ください(別サイト「enjoy! ALS」)。


なかなか診断がつかないまま何もせず待っているのも辛いので、なるべく早く仕事に復帰しながら精査を続けていく事にしました。復帰するにあたり、病気の事を同僚達に伝えた方が良いのかどうかすごく悩みました。同僚達も医師なのでこの病名の持つ意味や重さを知っています。
しかし同僚達は私がアメリカで働いていると思っているので、何も言わずに復帰しても色々聞かれるだろうし、言わなくても人伝いに知ることになるでしょう。また後々同僚達に迷惑をかけてしまうでしょうし、助けてもらう事も多いかと思います。

そう考えたら、自分の口から同僚達にしっかりと伝えておいた方が良いと思い、精査のためにアメリカから一時帰国したタイミングで医局に行き、医局の医師達が全員集まるカンファレンスで自分の症状や病名を皆に伝えて、帰国する経緯を報告しました。

正直緊張しすぎており、何を話たのかあまり覚えていないですが、深刻な事態であることは伝わり、重苦しく、まるでお通夜のような雰囲気になったことは覚えています。


ALSと確定診断がついた後は辛い日々が続きました。
右手から動かせなくなっていったため、まず専門分野である手術が出来なくなったことがショックでした。また自分だけこれから過酷な人生を歩んでいかなくてはならない事を考えると、同僚たちとも、どんな顔で話たら良いのか分からず、自然と距離を取るようになり孤立していきました。

右手と共に左手も上がらなくなってしまった時は、ご飯を口まで持っていけないため、お昼は一人で診察室の机の上におにぎりを置いて、顔を机に擦り付けながらご飯を食べていました。また、歩けなくもなっていたので、電動車椅子で通勤し、トイレにも行けなかったので、朝から絶飲食をして家に帰るまではひたすらトイレを我慢していました。

そんな自分が時々無性に惨めになり、誰もいない診察室で一人で泣く事もありました。

それでも私はこの仕事が大好きで、患者さん達からもたくさんの励ましのお言葉やお手紙を頂いて、同僚の医師達がサポートしてくれたおかげで、声が出せるうちは、なんとか限界まで仕事を続けていくことができました。

今振り返ると、短い間でしたが全力でやりきった臨床医人生だったなぁと思います。それも全て医局の仲間たちや患者さんたちが支えてくれたおかげです。
皆さまありがとうございました!

執筆者:医師 梶浦智嗣


梶浦先生は、ポジティブにALSを語るコラム(enjoy! ALS)を連載されています。


第1回 私は難病ALSを発症して7年になる41歳の皮膚科医です
第2回 私が皮膚科を選んだ理由〜皮膚科の魅力とは〜
第3回 皮膚外科学の魅力 〜皮膚科医が手術をする最大のメリット〜
第4回 医師として生きる
第5回 研修医の思い出
第6回 ALSを発症してからの大学病院での勤務時代の話

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