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院長の上田です。

今回は後輩の梶浦先生にお願いして書いてもらった記事です。
第1回の記事を読んでいただければ分かりますが、彼は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気に罹患しています。

そんな彼に「皮膚科の魅力」「皮膚科医を続けたからこそ得られた考え」などを記事に書いてもらえたら有益な情報になるのではないかと考えて今回の企画をお願いしました。

第4回
医師として生きる

私は今でも看護大学や介護福祉士専門学校で外部講師として、「ALSとはどんな病気か?声も出せず、体も動かせないのに、どのようにしてコミュニケーションを取っているのか?どのように在宅での生活をおくっているのか?」などの内容の講義を行なっています。その講義を聞いた多くの学生さんたちが、在宅看護・介護の勉強も兼ねて介護士として私の家にアルバイトをしに来てくれています。

ある時、なかなか痰が出せず1時間以上激しくムセ込みながら仕事をしていたら、その場にいた学生さんから「なんでそんな辛そうなのに仕事をするんですか?」と聞かれました。私としては時々ある日常的な事なので、辛いという認識はなかったのですが、周りの人から見たらそんな辛そうに見えるのか?と思いつつ、なんで仕事をするのか?の問いにはすぐには答えられませんでした。


改めてなんで自分は仕事を続けるのか、考えてみました。

一つは、たとえ体は動かなくても、心はいたって健康なので、自分が病人である自覚があまりないからなのだと思います。そして、思考力は病気になる前と変わらないので、病気になってからもずっと医師として働き続けられていること、誰かに必要とされていると思えること、が純粋に嬉しいからなのでしょう。

そしてもう一つは、私は「一度医師になったら、死ぬまで医師として生きなければならない。」と思っているからなのだと思います。
医学部では二年生で解剖学の実習が始まります。まだ20歳くらいの学生達が本物のご遺体を実際に解剖しながら、人体の構造について勉強していくのですが、これは医学部生だから特別に許された行為であり、許可のない人が行ったら立派な犯罪行為です。

そこには医学部生の教育に協力したい、医学の発展に貢献したいという、ご遺体を提供して下さった本人やご家族の強い思いが込められています。正直に言うと、その当時はまだその思いをしっかりと受け止めてられて実習ができていたわけではありませんでしたが、漠然ともう戻れない一線を超えた気がしたのを覚えています。そして医師として働き始めてから改めて当時の経験がいかに貴重で意味があったものかを気づかされました。


医師は自分一人の力で一人前になっていくのではありません。それまでに関わってきた沢山の指導者たちや、患者さんたちに育ててもらって一人前になっていくのです。(この話はまた次回書きたいと思います)
自分を育ててくれた多くの方たちに感謝して、その思いに報いる為にも、医師は医師として働ける限り、医師として生き続けなくてはいけないと、病気になってみて改めて考えさせられました。

執筆者:医師 梶浦智嗣


梶浦先生は、ポジティブにALSを語るコラム(enjoy! ALS)を連載されています。


第1回 私は難病ALSを発症して7年になる41歳の皮膚科医です
第2回 私が皮膚科を選んだ理由〜皮膚科の魅力とは〜
第3回 皮膚外科学の魅力 〜皮膚科医が手術をする最大のメリット〜
第4回 医師として生きる